蚕の丸森

ruger2006-05-31

 本日の向かった先は県南の丸森阿武隈川沿いで福島県の霊山などと接しています。阿武隈川という福島から宮城県の南部を縦断する河川でありながら、宮城・福島境は渓谷となっているため、河川以外の交通手段が発達していません。阿武隈山地もまた、それほど深い谷を形成しているわけではないのですが、山村という言葉が適している景観をしています。ようするに、四方に伸びる道や川があるにもかかわらず、なんとなく行き止まりの一番奥という印象をもってしまう場所、ということになります。
 そんな丸森ですが、藩政期より養蚕が盛んな場所として知られ、宮城ではここ丸森志津川が代表的な産地となっていました。明治以降は奨励策もあり、各地で作られてきたのですが、やはり歴史の重みかこの二カ所が別格という感じのようです。で、片方志津川を調査している以上、丸森の状況も気になるということで、本日は別件の調査でありながら、多くの時間を養蚕・製糸関連の聞き取りに。
 写真は、昭和12年まであった製糸工場の跡地です。石垣が写っていますが、これは大阪より石工を呼び寄せて積んだものということで、工場廃止からでも70年、現在もその姿をしっかりと残しています。ここには250人ほどの工女が働いていたということで、この近辺の一つの中心地であったようです。女工と聞くと、映画の野麦峠などを思い出しますが、ここでは職員旅行で東京に行ったり、松島に行ったり、海水浴にいったり*1、様々なレクリエーションが企画される工場だったということです*2。そういう話を伺いながら、こうして家庭内での養蚕と近代的な工場が並立する世界を想像していました。
 養蚕というものにはなんとなく興味が湧いてきているのですが、なかなか奥深く広い世界のようです。民俗からのみ見るのは危険そうですし、それ以上に地道な調査が必要なことを痛感しました。

*1:という写真が残っています。印象に残っているのは海水浴ですが^^;

*2:尤も野麦峠も映画版でかなりの脚色をしているという話ですから、女工哀史的な世界がすべてということではないのでしょうが