鯉のぼり

ruger2006-05-26

 昨日、唐桑に行った際、とても気になる風景がありました。そう、至る所に鯉のぼりが立っているのです。
 最近通っている唐桑は今般の合併で気仙沼市となりましたが、それまでは唐桑町として、宮城県の最北の自治体でした。唐桑町三陸の海に突き出す半島である唐桑半島部の近世唐桑村と、沿岸部となる近世小原木村が合併した自治体で、三陸のメインルートである国道45号は小原木地区を通っています。車で向かうと、45号線から脇道に入った一帯が唐桑ということになります。つまり、その脇道がメインルートとして半島を縦断していて、その周辺に集落が広がっている場所であり、陸地からみると、非常に孤立した一帯として見ることができる場所です*1。で、今回も、いつものように脇道に入り、しばらく走ると、写真にあるような光景が広がってきました。
 初め、その不思議さに面倒な家が立てたままにしているのかな?と思っていましたが、それにしては多すぎます。同僚と”唐桑では長く鯉のぼりを立てると幸せになれるとかいうのかな〜”などと話しながら動いていると、明らかにほぼすべての家に鯉のぼりが立てられ、とても異様な感じです。

 ということで、出張先のお宅でメインの用事もそこそこに、早速聞き取りです。
 なんでも、唐桑では鯉のぼりは旧暦4月28日から5月5日までの7日間立てることになっていて、調査日である5月25日がその旧28日とのこと。そう、前日に調査に行っていたら気が付かなかったのですね。
 しかも、子供が居る家が立てるのではなく、すべての家が立てることになっているとか。ということで、ひとまず、この時期の鯉のぼりは理解できました。

 この行事、少なくとも戦前からやっているということなのですが、どういう経緯なのですかね。また、立て方も、一本棒*2から斜めに笹を出して、そこに鯉を吊していますが、この方式が正しいということで、ここにも特徴があるようです。この立て方は最近では岩手県南部でも見られるということですが*3、笹の葉を残す形態といい、なにか謂われがありそうな感じがするのですが、穿ちすぎですかね。
 唐桑は漁師の町として知られ、戦前は沖合カツオ漁、戦後は南洋のマグロ漁などに出ていて、漁期*4の間はほとんど男がいない町として知られています*5。こうした経緯で、外から入ってきたのでしょうか。魚ということで大漁祈願とか、航海安全というような理由なのでしょうか。聞き取りでは、なぜ子供の居ない家も含めて全戸で立てるのかについてはわかりませんでしたが気になるところです。
 いずれにしても、この行事旧唐桑村の範囲だけで行われているようです。45号線につながる旧小原木村只越地区で数件立てられていたほかは小原木地区でも、気仙沼市内でも鯉のぼりの姿を見ることがありませんでした。
 う〜ん、なんだろう。ここまで限定的で、かつ外から見て一目でわかる行事って、なかなかお目にかかれないですね。運のよい一日でした。

*1:ただし、少し前までは陸地の移動よりも船での移動がメインでしたので、この視点は現在外から来た人間が受ける印象でしかありませんが

*2:これは正月の門松の中心木にする5間長の杉を使うのが正調とのこと

*3:出身の同僚曰く、ここ数年見かけるようになったとのこと

*4:遠洋の時代はほぼ1年近く

*5:なのでか知りませんが、我々が調査に行くと対応して頂くのは基本的に男性、というか当主であることが多い中、唐桑では聞き取りにしても、資料調査にしても女性が対応されることが多いですし、逆に男性が奥に入ってしまうことが多い印象の場所です。