ナオライにて

 この祭礼、こういう下心があって伺ったのですが、それ以上にナオライの席が印象に残りました。
 祭礼を主催しているのは、当主を引退した人たちで作る六親講と呼ばれる組織です。当主達の契約講から六親講にうつるのは息子が結婚したときということで、早いと40代から入り、以後死ぬまで属するてとなります*1。で、ナオライでは現在も膳を用意し、公民館の広間にずらっと膳を並べてナオライをするのですが、膳の数は必ず全講員分用意し、並べられます。乾杯までその状態であいた膳がおかれ、その後下げられるという具合です。
 料理も焼き魚、刺身、タコの刺身、魚のお吸い物、うどんという具合に、逆精進料理というか、野菜類がお吸い物の長ネギとうどんの薬味だけです。この料理の構成は必ず決まっており、この他テエマエと呼ばれる当番の家が、別皿を2品用意することになっているとのこと。魚もおいしかったのはいうまでもありませんが、ここまで徹底した料理も初めてみました。
 それ以上に興味をもったのが、余興です。
 突然、神事に使った太鼓を出してきて、叩き始めるオジサンがいます。それをきっかけに神楽を踊り出す人*2、灰皿を2つ使って鉦摺りをする人まで。そう、隣の浜で行われている南部神楽を見よう見まねで真似ているのです。この地区では法印神楽もあるのですが、そっちはおもしろくないので南部神楽をやるんだ、とのこと。そもそも南部神楽も法印神楽を密かに真似たのが発祥といわれていますが、今日の様子を見て、江戸時代の話ですが南部神楽が生まれたときって、こんな感じからはじまったのかな〜、などとしみじみ見入ってしまいました。こういう感じから、ちょっとしたきっかけで”じゃ、習おう”ということになるのでしょうね。
 そんなこんなで想像していた以上に収穫のあった本日の調査でした。

*1:逆に息子が結婚しないと100歳でも六親講には入れず、20歳ぐらいの新婚さんに混じって契約講に入ることになります。婚期のおそい近年ではさすがにそれはまずいということで適宜判断をしているようですが。しかしこの話、本当に興味深いですね。役割も完全に分化していて、村の諸処の決めごとは契約講の分なのですが、そこで紛糾すると調停役として六親講が出てくるとか、対外的に年長者が望まれるような役職、寺の総代などは六親講がでるとか。六親講は死ぬまで入っているが、講長などの役員を経験した後は長老としてご意見番になるが、祭礼の席次は講長よりも上になるとか、たぶん丁寧に調査をするとものすごく多くのところに決めごとがありそうです。

*2:当然せりふ付きです