盆踊り雑感

盆踊りに思うところがあるなどと書いてしまいましたので、一応雑感としてかきます。
まず、辞典の説明を引用すると。

 盆に祖霊歓待と鎮送に踊る踊り。
(中略)
 庶民の盆供は「蜻蛉日記」にもみえるが「看聞御記」には十五世紀半ばには念仏踊りが修せられたことがみえ、「盆ノオドリ」は十五世紀末に昼は新薬師寺、夜は不空院の辻で
と「春日権神主師淳記」にあるのが古い。異類異形と日常でなく風流の装いだっった。非日常の儀礼として盆踊りが踊られる。
(中略)
 しかし盆踊りは次第に往生願いや慰霊などの念仏系を脱して地域謝意としてイベント風流化する。唄に恋歌やお国自慢が幅を利かし、美声が登場し、太鼓がリズミカルに響き、美しい手振りや軽快な足取りが見られるなど楽しく明るい雰囲気が支配するのは、祖霊に喜んで帰ってもらうためである。
(後略)
「日本民俗大辞典」吉川弘文館「盆踊り」より抜粋

となります。祖霊(先祖の霊)を送るための踊りで、念仏などと結びつきながら発展し、そこから更に展開していったとあります。ちなみに、この辞典には、先の西馬音内についても触れられ、mermarbleさんのコメントにあった覆面姿については、祖霊を象徴している、とあります。同様に顔に覆面をした踊りが鹿児島にもあるそうです。
で、私の雑感は、後段のお国自慢が幅を利かし云々、というところです。子どものころ、近所の盆踊りといえば、炭坑節やドラえもん音頭(笑)などなどを踊るものでした。それが盆踊りであろうと。
学生時代、民俗調査をはじめて、長野県に行きました。ここではいわゆる夏祭りを盆の時期に行い、終わると、屋外でナオライ(宴席)がはじまります。脇には舞台があり、そこでやおら「カラス踊り」という踊りが始まりました。厳密には盆踊りではないようなのですが、これが酔いが回るに連れ、どんどん即興の歌詞が入りだし、「はぁ〜、学生さんがきているよ。一人ぐらいは嫁にならんか〜」などという具合に、その場にいる人をダシにして、延々続きました。参加している人たちは爆笑爆笑、また学生もその場で唄わされたり、踊らされたり。まさに現世で楽しむ、楽しませる場、という感覚を強く持ちました。
その数年後、父の故郷で祖母の初盆の時です。ここの盆踊りは、まさに送り盆の日に海岸(盆舟はここから流される)で行われるもので、楽器は大太鼓一つ、あと唄いのじいさん。これもまた、初めは民謡のような調子で、しずしずと踊るのですが、1時間ほど過ぎると酔いが回ってきたのか、即興で、やはり参加している人をネタにした歌詞が入りだします。曲は1つ、伴奏は太鼓のみ、という非常にシンプルながら、たぶん2,3時間は皆で踊り続けるのでしょうか。そして、観客がほとんどおらず、皆踊りの輪に入っています。
この時、「そうか、これが盆踊りなんだ」との思いを強くしました。
そう、別に派手である必要もなく、人に見せる物でもなく、あくまでも歌い手と踊り手が楽しむ空間ができあがること、それこそが盆踊りなのかな(あ、観客に祖霊がいるのですね)。
で、西馬音内ですが、これも私が見に行ったのは観客に見せる盆踊りですし、観光資源なのですが、よく歌詞をきくと間に「ろっくんろ〜る」なんて入っていて、よく聞き取れなかったのですが、結構遊びの要素があるように思われました。たぶん現地ではもっと即興性が高まるのでしょうから、この点も、是非現地で見たいと思う一つの理由です。
このサイトを御覧の方で、地元の盆踊りを見る機会が有れば、そんな目で見てもらうとまた楽しみが増すと思います。(ただ、仙台は藩が禁止していたこともあり、古くからの盆踊りがないのですよね。残念です)
以上、雑感でした。