縄文街道

北東北3県連携し「縄文街道」を
 本県、岩手、秋田の北東北三県の交流を促進し新たな観光ルートをつくろうと、岩手県西根町特定非営利活動法人NPO法人)「風景の生命(いのち)を守る地域づくりネットワーク」(金子貞子代表)が十二日、青森市三内の縄文時遊館で「未知の国(みちのく)縄文街道キャンペーンキャラバンin青森」を開いた。これまで秋田、岩手の両県で実施してきたが、本県での開催は初。
 キャンペーンキャラバンでは、田村麗丘事務局長が、岩手県西根町から秋田県鹿角市小坂町を経て青森市に至る国道282号、7号の約百六十キロ区間を「縄文街道」と名付け、新たな観光ルートとすることを提案。街道沿いにはストーンサークルや遺跡などミステリアスな観光資源が点在するほか、十和田湖や八幡平など豊かな自然がある。田村事務局長は「自然や歴史遺産、そこに住む人々を主役とした観光連携を目指したい」と講演した。 パネルディスカッションでは、藤川直迪・三内丸山縄文発信の会理事長、田澤俊明・県観光推進課副参事、石川浩明・県企画課副参事がパネリストとして参加。「県境にとらわれない官民の協力が必要」「観光スポットにストーリー性を持たせ付加価値を高めては」などの意見を出し合った。
東奥日報 6月12日)
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2004/0612/nto0612_17.asp

学生時代、修士論文のテーマに三内丸山遺跡が県民のシンボルとなってきているのではない、という視点から研究したいという青森県出身の後輩がいました。うる覚えなのですが、青森は南部と津軽に大きく二分されていることもあり、あまり青森県人という一体感がなかった、それが三内丸山遺跡の発掘成果が喧伝されるうちに、県民の統合と、歴史・文化的な面での自意識を作るきっかけになり、県の象徴になっているのではないか、というものでした。当時は自分も含めゼミの仲間たちの間では、ちょっと議論が飛躍すぎるという印象で、結局研究計画は御破算となったのですが、最近、ある意味正しかったような気がしています。
三内丸山遺跡だけではなく北東北に縄文時代研究上重要な遺跡が多々あり、北東北は考古学上大きな意味のある地域のようです。その結果、縄文文化を基底にもつ、「北東北」というイメージが諸処で流通しているように思います。私は、現在の人達の生活に、縄文文化を結びつけるのは飛躍が多く納得していないのですが(樹木の利用は縄文時代から続く…、などという言い方です)、イメージとして縄文と結びつけ、一つの文化を作り出そう、という動きは興味深くみています。
この記事は、まさにそうしたイメージを観光資源にしていこうという動きのようです。遺跡を観光資源とすることは、史跡整備などを通じて各所にありますが、それをより大きな資源として利用する動きは面白いと思います。青森・岩手・秋田の三県は道州制を先取り広域行政を行なおうとしています。今回の動きはNPOが主導ですが、官民合わさり、今後どういう動きがあるのか、注目していきたいと思います。