熊野神社の獅子舞

ruger2004-05-03

加美町宮崎地区の熊野神社祭礼に行ってきました。地区内を神輿と獅子が巡行するだけの行事ですが、芸能史、宗教史的にはいくつかの興味深い内容があります。
この神社は中世、宮城県北部を中心に権勢を誇った大崎氏との関わりが深く、その一宮に位置付けられていた神社とされています。近世に入っても、加美五人神主の一人が神主であったとされ、宮城県の中西部における主要神社のひとつでした。
ここの獅子舞に用いられる獅子頭は、その形態が特異で、やはり五人神主の一人である薬来神社の獅子頭にそっくりです。薬来神社は三輪流法印神楽を伝承しており、県内でも特異な神楽と位置付けられており、その関わりが考えられます。
また、熊野神社には21年に一度行われる浜降り行事の本祭礼があり、その際、加美から鳴瀬川の河口まで神輿と獅子が巡行します。この祭祀の形態もあわせれば、加美郡の神社が関わる中世的な祭祀の形態が推測されるというわけです。
ここで中世的な、というのはいくつかの村や神社がそれぞれに芸能などを保持し、中心となる神社の祭礼において複合的に儀礼、行事が行われる祭祀を想定しています。現在も若狭湾の「王の舞」と呼ばれる芸能などをみると、こうした形態の行事が行われており、これに似たような祭祀が中世の加美郡、というか大崎氏の領内で行われていたのではないか、というように考えています。そして、その一端が獅子舞という訳です。
(一応予防線ですが、これはあくまでも私の仮説です。もしかしたら、単なる夢想かもしれません。たぶん大枠は大丈夫だと思って書いてはいますが)
で、本日の獅子舞ですが、そんな昔のことはおいておき、非常にのんびりとした中でも、芸に対して真剣に取り組む人達の姿や、若い人たちの熱心さ、といったものが感じられて、とても楽しかったです。観光化をしているわけでもなく、それでいて寂れている訳でもなく、あくまでも地域の信心が滲み出ている行事でした。芸能だけではなく、行事を伝える地域的な背景をもっと深めて調査をすると、いろいろと考えさせてくれることが出てくるのかな、という気がします。
最近、祭りの日だけの調査が多く、いろいろと見ているのですが、表層的な調査しかできていない気がするので、自戒の意味も込めて。