牛久シャトー

ruger2004-06-20

牛久の続き
で、牛久名物の牛久シャトー、現在はシャトー・ド・カミヤというのが正式名称です。電気ブランで有名な浅草、神谷バー創始者、神谷伝兵衛が明治時代に作ったワイン醸造所です。明治時代には常磐線からの引き込み線が農場内にあり、皇族がお召し列車で訪れたこともある場所です。
茨城県の南部は全般に丘陵地が多く、現地でヤマと呼ばれる林野が広がっており、明治時代以降、大規模農園が東京の資本家たちによって開発されました。牛久シャトーもその一つです。ちなみに競馬の美浦トレセンや、つくば研究学園都市など、関東近郊にしては広大な土地が確保できることから多くの施設が戦後にも誘致されています。(閑話休題
今は、ワインを中心に地ビールなど食べられる観光地になっています。私が牛久に通いだした10年ほど前までは少しですがブドウ畑もあり、実際の牛久産のワインも作っていたと記憶していますが、数年前に畑も駐車場になり、住宅地の中に広がる一大観光施設へと変貌しました。
牛久駅から近いですし、茨城県に行くことがあれば一度行かれることをおすすめします。
ちなみに、土産のおすすめはワインケーキです。