祭りの衣裳から

食ったり踊ったり:祭りの衣裳について
すずめ踊りを実際になさっている、まあぶるさんのページを見ていたら興味深い記事がありました。で、ちょっとした感想まで。
要するに、衣裳に限らず、民俗芸能の変化への対応は難しいなあ、けどおもしろいなあ、ということなんですが。
10年以上前に調査をしたある江戸(神田)囃子の出る祭りは、二つの集落が共同で開催しており、それぞれの集落が山車を繰り出し二つの集落を廻ります。この際、何度か出会う度に囃子同士の「競り合い」をするというお祭りでした。この二つの組は集落の年齢構成がちょっと違い、片方は囃子歴40年以上の人が中心、もう一つは囃子歴20年ほどの人が中心にいて、それぞれが芸を競いました。若い人も通常の囃子の演奏や踊りは非常に旨いのですが、当時流行っていたジュリアナ風の踊りを取り入れ(あの扇子ですね)、人気を博していました。
若い方の組のベテラン達は、彼らがちゃんとした囃子ができることもあり、「少しぐらいいいかな」とか「あれはいい」、という感じだったのですが、もう一つの組の人たちには散々でした。宴席で、「あいつらは実力もないくせにあんな感じで踊って、ふざけてやがる」といった具合でした(もちろん若い方の組にも批判する人はいましたし、逆もありますが、そういう声は裏の声という感じで)。
こうした違いを眼にして、私はその両者とも練習からみていたこともあり、それぞれに相づちを打つしかなかったし、たぶん高齢の組も小学生は多かったので、15年後にはどうなっているのかな(そのころ若い方がベテランの組になっているし)という感想を持ち、逆に芸能が変化していく過程を見る思いがしました。
その後も、各地でいろいろな芸能を見て、その流行り廃りなどを目にしてきました。特に一番少ない20代の人が熱心に取り組んでいる芸能を見る度に思うのは、一つは先代からの技術を修練しようという気概が非常に強い一方で、是非人に見てもらいたい、目を引いてもらいたいという熱意と工夫でした。特に囃子は演奏で回りに合わせるために基礎が必要な一方で、踊りは滑稽さが求められるものが多いことから、小道具の工夫が入る余地が大きいため、ジュリアナになってしまったのだと思います。
芸事は、たぶん目立とうと冒険する部分が必要な一方で、一番重要なのは、まあぶるさんが最後にお書きになったように最後には「踊りがうまいよね」と言われるようになることが目標であるべきなんだと思います。
どんなに派手でも(上手い下手ではなく、思いという点で)しっかりした踊りは記憶に残ります。
私としては、芸能を支え発展させる一番の推進力が、演じる人個々人の芸能に対する思いと、それをどう表現するかという工夫を折り合いをつけて両立させることだと思っています。そこが芸能のおもしろい所ではないでしょうか。