合併をにらんで

旧聞ですが市町村合併に関する記事で気になったもので紹介します。

合併前に“自分の貯金”使いたい? 宮城・栗原、登米河北新報
 市町村合併を控えた宮城県内の自治体の多くが2004年度、各基金を放出し、前年度比プラスを確保している。「自分の『貯金』は合併前に使いたい」という思惑が透けて見え、行政の効率化や財政基盤の強化といった合併の趣旨から逸脱するという批判も出そうだ。05年の合併を目指す「栗原市」(10町村)、「登米市」(9町)の両地域で実情を探った。
 栗原、登米の両合併協議会を構成する自治体は財政調整基金について、基準財政需要額などの6%相当額を残し、新市に持ち寄るルールを設けた。減債基金や福祉基金なども一定のルールで残すが、それ以外の基金は合併までに自由に使えることになる。
 JR東北新幹線くりこま高原駅がある志波姫町の本年度一般会計は、前年度比17.5%と急増した。ルール対象外の2基金(計約2億2000万円)を廃止し、将来の財源不足に備えて財調基金に積み直す一方、「栗原市の中心部に」と期待する駅周辺の道路整備に力を入れる。
 「(ルール以上に)余分に新市へ持っていっても仕方がない、という思いはどこでもある」。栗原地域合併協会長の菅原郁夫若柳町長は基金についてこう話し、「町民の税金で集めたのだから、どこも地域還元の方向で考えるだろう」と言う。
 積極予算は登米地域の方が鮮明だ。9町の普通建設事業費は64億4500万円で、実に前年度比24.4%の大幅増。その代償として9町は、財政調整基金の約半分に当たる18億円を取り崩す。
 南方町は27億円を投じて役場を新築移転する。合併後は登米市の「分庁舎」として市民生活部が入居するという。「なぜ合併直前なのか」という素朴な疑問に、伊藤吉信町長は「合併後も南方地域の核は必要」と理解を求める。
 東和町は3億5800万円を計上し、米谷、米川の両公民館を建て替える。「合併がなければ、両館の同時進行はなかった」と町幹部は認めるが、浅野敬町長は「合併後の拠点を今の町の責任で整備する」と強調、駆け込み批判をかわす。
 駆け込み的な色彩の濃い予算編成に関し、県市町村課は「新市に財政的なしわ寄せがいくのであれば問題だが、合併協を構成する自治体間で合意して実施しており、駆け込みとは考えていない」との立場だ。
 東北大大学院の吉田浩助教授(財政学)は「『けしからん』と見る人は少なくないだろう。だが自治体といえども無欲ではない。動機付けや誘因によって行動するものだと、冷静に受け止めるべきだ」と話し、住民が主体的にチェックする必要性を指摘している。
河北新報

ようするに合併に際し、持参金のルール外の基金(貯金)は合併前の今年度に消化しよう、ということのようです。そしてルール外だから問題はないししかたがない、というのが意見だそうで、これに対し問題だと思えば、住民がチェックしろ、ということです。
さて、私の身の回りでは、自治体史(○○町史)を今年度中にという話をよく耳にします。これも(私は関わっていませんが)執筆する側とすれば依頼主がなくなってしまうので、書き上げないといけない、ということになり、そうすると、新しい事実が発見されても、あきらめて入稿しなくてはならない、という事態が生じる可能性があります。
同様に、施設をつくるにせよ、すべて、期間と予算の絶対的な枠(足は決して出せないし、もったいないから余らせもしない)があるなかで、意味のあるモノが作れるのでしょうか。
例えば、モニュメントにもなる役場は、支庁舎としての機能もあるし、今年度中に建てる、というのは理解できるのですが、どの程度の機能が必要で、維持費がどの程度必要か、といった議論までなされているのでしょうか。合併後に朽ち果てたりして。
まあ、そこまで気にしても仕方がないのでしょうが、現在の多くの自治体が昭和の合併で生まれ、地域の歴史の中で50年ほどのあゆみを刻んでいるだけです。歴史的な経緯は千差万別ですが、そもそも自治体の記憶を残す必要があるのか、という点も考えてもいいのかな、と思います。
要するに、合併を巡る議論は過去100年を見、以後100年を見た議論になっていないような気がしています(って国もそうか)。なので、合併後、現在箱物を作る体力がない自治体が、地域間格差を訴え、立派な施設の建設を求め、現在立派な施設を作ってしまったが為に、20年後、使いにくい施設を維持して行く地域との間にまた問題がおこり、そっちのほうが人口も多いし、そっちも新築して、って昭和の合併後の状況を繰り返すような気がします。