宮城県河北町合併離脱

えーっと、広い意味で地域振興と関わりのある市町村合併の話です。別にここの例が特異なのではなく、宮城でも先行していた加美郡の合併が直前に破談になり、特例で「加美市」になるはずが用件をみたさず「加美村」になりかねず、条例を変更して「加美町」になるという話がありましたが、そのもうちょっと複雑版です。

「住民不在」傍聴席ため息 宮城・河北町合併離脱可決
 河北町石巻地域合併協から離脱する議案が可決された
「闇討ちの提案だ」「財政見通しを示さず単独の道を選ぶのか」と追及する離脱反対派の町議。「町民の声を反映する議会の意思を尊重しながら、苦渋の選択をした」と繰り返す町長。宮城県河北町の3月定例町議会最終日の25日、議論がかみ合わないまま、町が追加提案した石巻地域1市6町の合併枠組みから離脱する議案が、賛成13、反対6の賛成多数で可決された。町の歴史的な一瞬を見ようと集まった傍聴席からは「かけ離れた所で物事が決められ、住民不在だ」とため息が漏れた。
 この日は午後一時から、予算審議特別委員会で特別会計予算案などが審議され、本会議がスタートしたのは午後3時。
 神山庄一郎議長が「町から追加提案がなされている」と報告、議会運営委員会で「河北町河北町議会の意思として石巻地域合併協に離脱を申し入れる」議案の扱いをめぐって協議した。
 太田実町長が提案理由の説明に入ったのは午後4時半。離脱反対派の6人の町議は合併協離脱の理由や財政見通しなどについて追及した。
 「町長は議会の意見を尊重するとは言うが、町長としての意見を一向に言わない」「税収が減少し地方交付税が削減される中、単独で歩む際の資料も提示せず、合併から離脱をするのは無責任だ」
 23日に町内で開かれた合併を考える集会を受けて、民意の反映の仕方についても疑問が呈され、数人の町議が「自分の町のことだから自分で決めたいとする人が大多数だ」と住民投票を求めた。
 長期入院していたせいもあってか、太田町長は答弁でたじろぐ場面も。「議会の意思を尊重する」「電話で住民の声を聞き、今の町づくりを支持する声が多かった」と繰り返しながら、石巻地域合併協から25日を回答期限として迫られていることを挙げ、「苦渋の選択だ」と答えた。
 午後8時前、採決が行われ、町長提案は賛成多数で可決。傍聴席にいた町内の会社役員の男性(36)は「町と議会のスリム化など相当の荒療治をしないと町は立ち行かない。将来、吸収合併され、頭を下げるのはわれわれの世代。無責任な決断だ」と怒っていた。
2004年03月25日

石巻地域の場合、石巻市という核となる都市があり、その周辺に過疎化に苦しむ自治体がある。しかし、原発を抱える女川町や、自衛隊があり人口が増加している隣の矢本町など比較的体力があるとみられる自治体は今回の合併協議にはいらず、言葉が悪いが石巻と体力のない自治体の合併協議になっていた中で起こった話しということです。
私は広域合併に賛成の立場をとっています。現在の経済の動きをみるとき、かつてのような数万人で保持する経済圏、つまり町場というのは考えにくく、10万人規模で一つの都市とその近郊という形式が望ましいのではないかと思っています。これは仙台一極集中である宮城の場合、
小さい町<大都市仙台
の図式で、産業も全て仙台との関わりで成立せざるを得ず、それは人が全て仙台に流れるという構図になることを意味します。これに対して、地元に中規模の都市が形成されれば、そこに一定の産業を集め、人を集めることができる。つまり、5つの市町村が合併するとき、5つの町場をそのまま残せば共倒れになるので、1つの都市と4つの小町場というかたちでの都市圏の形成がのぞましいように考えます。
自治体の合併はこうした意図を明確にする機会ではないかと思います。
ただ、核となる町場が石巻のように財政的に厳しく、また歴史的に高飛車だったりすると、今回のようなことになり、最終的には全ての町場が不幸になるように思われます。また初めから合併に加わらない自治体があったということも不幸の原因だと思います。町の財政は安定していても、原発が人を集めることはないので、人口の流出は続くように思うからです。たぶん30年後、大きな問題になるのかな、という気がします。もちろんそのころには今回の決定をした人は年金をたくさんもらってしらんぷりなんでしょうが。
今回離脱した河北町も飯野川という町場を持ち、その衰退を恐れたためにこの動きになったように思われますが、はたしてどうなるのでしょうか。感情的な確執だけが残ってしまうような気がします。
ちょっと何をいっているのかわからなくなってきたので、ひとまずこれにて。
この問題は折を見て整理していきたいと思います。