延年チョウクライロ舞

ruger2006-06-10

 久々の外仕事でまた鳥海山です。ここのところ通っていた山形側ではなく秋田側の登拝口、小滝の芸能です。
 小滝地区は金峰神社を中心に修験者の坊が集まっており、一山を形成していました。秋田側の鳥海山の主要な登拝口はもう少し東側の矢島口なので、鳥海山信仰という面では歴史的にどう、ということはないのですが、金峰神社の前には奈曽の滝という落差30mほどの大滝があり、高さ4mの平安時代作の観音像があるなど、古くからの信仰を集めていた場所であることか感じさます。
 この小滝には二つの芸能が伝えられています。一つが本日のチョウクライロ舞、もう一つが番楽(神楽)です*1。チョウクライロ舞は頭に延年とつくように、寺院芸能の延年と定義される芸能となりますが、写真にも小さく写っていますが、陵王や納曽利といった舞楽系の面を使った舞や、神楽面を使った舞から、田楽舞まで非常に多様な芸能を残しています。この田楽、舞楽、延年って、定義はそれぞれあるのですが、特に東北地方の場合、その習合が激しく、この芸能は延年とか舞楽とか示すのは難しいのですね。チョウクライロ舞も、大枠は延年でいいかな、と思うのですが、演目の構成は舞楽の影響を強く受けている*2ように見えます。というよりも全体としては舞楽が延年化したというほうが適切なのかもしれません。また、こうして鳥海山麓の芸能をみていると、かなり似通っている気がします。ビデオで比べる必要があるのですが、上記のような混濁具合といい、節回しといい同系の印象があります。このあたり、私のような素人でもわかる近さですし、どなたかまとめられている人はいないのですかね〜>他力本願
 さて、当日の印象ですが、番楽の時に外の人が少なく地元感が〜、と書きましたが、今回は本当に逆で、外からの観客が非常に多く、地元の人が少ない印象でした。盆と6月の違いなのか、神社の祭礼と、盆行事の違いなのか。芸能としても延年が舞台上座に神主が座り、それに向かって行うものに対して、番楽は客に向かうという違いがありますから、そうしたもろもろの違いが影響しているのかもしれません。そもそも、来賓席に町の課長さんやらが招待されるような祭礼ですから、どうしても地元の人たちとは距離ができてしまうのかもしれませんね。昨夏との違いが印象に残る祭でした。
(本日の運転距離 420km)

*1:ちなみに番楽は昨夏に拝見しています(id:ruger:20050813)

*2:最後が納曽利舞だったり、祖父祖母舞という神楽面を使う翁と老女の舞はたぶん舞楽の二の舞だと思います