えっと

古代東北の国府多賀城宮城県多賀城市)には、要害として四方に神社が置かれていた―との推論を立てた民俗研究家が、一つの神社を探している。南を除く三つの神社は現存し、地図上でつなげると、ほぼ完全な二等辺三角形が浮かび上がる。仙台港周辺に神社があれば、正確なひし形で多賀城跡を囲む形になる。研究家は「手掛かりになる古い地図や言い伝えがあれば教えてほしい」と呼び掛けている。
 ミステリアスな古代ロマンの謎解きを試みるのは、青葉区の民俗研究家浅野耕市さん(45)。浅野さんによると、四つの神社は多賀城創設(720年)前に建立され、東北に住む蝦夷が信仰していた。ひし形のラインは外敵の侵入を阻む「結界」を意味したという。
 浅野さんは「多賀城が朝廷の政治的・軍事的拠点になった後は、国府蝦夷から守る要害に変わった」と考えている。
 四つの神社のうち三つは判明した。多賀城跡近くのアラハバキ神社を中心付近と考え、東は宮城県七ケ浜町東宮浜の東宮神社、西は宮城野区岩切の志波彦神社、北は利府町春日神社。
(以下略)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2006/03/20060314t15036.htm

自称なのでしょうが、こういうのも新聞から見ると民俗研究と言うことになるのですかね。