採集話の続き

 先般のコメント(id:ruger:20060308)に対して若干の補足です。諸般の事情でアップするのが遅い上、寝かしすぎて少し発酵している気配もあるし…^^ゞ
 気を直して、今回の採集に対しての話は、私の職場である博物館資料としての民俗の問題から出発した話となります。
 コメントいただいた通り、近年の民俗学の論文が論に主眼を置き、脈絡無く採集した事例に対して扱いが悪い印象です。もちろんこれは学問としては正しいのですが、事例に対してどうか、という面も感じています。例えば同様の動きは生物学などにもあるようで、分類学は大学ではやらず、また意味を認められないという話を聞いたことがありますが*1、それに類する問題だと思います。
 事例がない民俗学の論文はありえないですし、何か調査を始める際は、いまだに「民間伝承」から採集された事例をもとに出発することもあるように、断片的な事例の収集と蓄積は不可欠だと思います。博物館はその性格上、物質資料だけではなく、こうした事例の蓄積をしていくのは大きな使命だと思っています。それはかつての”採集”と同様に、面的な量を求めていくのも一つなのですが、もう少し深い部分の事例の蓄積も同様にはかる必要を感じています。
 行政の民俗調査では、ある事柄について、全県的なアンケート、というか各自治体に問い合わせを入れ、自治体で多くの場合、民俗に興味をもっている郷土史家などに委嘱をして事例をあつめ、そうして集まった事例から詳細調査地を決めるというやりかたが往々にしてあります。時間やコストを考えると効率的なのですが、この調査法にたいして日頃から疑問をもっています。まず出発点では調査の依頼を受け取る自治体側の温度差があり、委嘱される方々の温度差がそれに加わります。その結果、調査地に対するバリエーションが減ってしい、ますます既存の事例地が重複するようになるというか。で、あまり事例がないという評価を得ることになってしまっているように思います。また、調査項目に縛られることで、項目の表面だけに目が行き、見た目の事例をより深く見ることができない点もあります。更に言うと、これらはまさに一定のデータを定量的に集める社会調査などではすくい上げられない点でもあるように思っています*2
 私が民俗に希望をもっているのは、そうした目につきやすい特異な事例以外の、別に大したことのない生活の中に、その地域ならではの”伝承”ともいうべきものを見いだすことができるところにあります。これを採集というニュアンスで表現しようと思った次第です。要するに、社会科学的な社会調査と呼ばれるものに懐疑を持っていて、民俗学の一つの意義として、周辺諸分野の社会調査ではすくい上げられないものを見いだしていくことにあると考えているということです*3
 こういう、”調査”と”採集”の私が持つイメージに対して学史を踏まえていないというご指摘はその通りで一層の検討が必要なのですが…
 全然答えになっていないエントリーですね^^;

*1:風聞に近い話なので、現場の方々で気分を害される方がいらっしゃればお詫び致します。またつっこみをいただけると幸いです

*2:もちろんだからこそ見えてくる面があることを否定もしませんし、それもそれで重要だと思います。

*3:わっ!これでは更に泥沼になってしまう…、そっちにはつっこまないでください