町村合併雑感

えっと、何度か書いている町村合併についてです。別に本日の記事だけではないのですが、気になったのでまた書きます。

涌谷町、きょうにも合併協議休止を申し入れ−−遠田郡3町、実現性低く /宮城
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040623-00000001-mai-l04
宮城・若柳町議会「新市」可決微妙 あす臨時会
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2004/06/20040624t11007.htm

宮城県内でも各地で合併話が進んでいますが、また各地で問題が噴出しているという記事が掲載されています。
で、両者とも共通するのは、市役所をどこに置くのか、という議論から問題が発生しているということです。もちろん市役所の場所というのはイコール新しい自治体の中心をどこに置くのか、ということですから真剣に検討すべき事ではあるのですが、それがご破算の理由になるということはどうも納得できません。
宮城県内での合併は基本的に仙台との関わりの中で作る必要があると思います。ここまでは仙台(そして東京)、ここからは地元で、という具合ですね。その範囲(例えば仕事は仙台にいき、そのベッドタウンとして発展するとか、日用品の商圏は自分の自治体内で完結させるとか)を考えることで、合併作業が進んで欲しいと思います。自治体が大きくなったから地元で全部まかなうということはこのご時世では難しいのですから。
この点で涌谷にしても、江戸時代には涌谷伊達家の城があり、城下として繁栄したのですが、現在は陸羽東線石巻線)の沿線として古川、石巻という県内でも比較的大都市に挟まれ埋没しています(町中はなかなか雰囲気はよいのですが)。これらの都市とどのように向き合い、仙台と向き合おうとするのか(ちなみに小牛田駅は仙台駅から45分ほど)ということを抜きに合併が話し合われることは変な気がします。

何か合併に関して生まれる問題は、未来とは関係のない所ばかりのような印象です。50年後にこの地域はどうなっているのか、どうしたいのか、そういう議論をとんと見たことがありません(全部ひとそろいのバラ色の未来ばかりになっているような)。50年後って自分もたぶんいないのですが。例えば年金にしても、自分の3才の息子の年金はどうなるのだろうか、と考えたとき、うすら寒い思いがします。これと同様に、自分の住んでいる場所は大地震でも来ない限り未来永劫あるはずですし、そこにせめて50年後にどんな生活が営めるのかを想像すること抜きに、今の話はできないのだと思います。
って、50年に拘るのかというと、明治(1890年ごろ)の合併、昭和の合併(1955年ごろ)と現在の自治体が50年周期でなくなっており、50年後に体力がないと、また合併という話になるような気がするからなんですが。