伊能忠敬の日本地図展

ruger2004-06-04

本日は息子の検診があり、仕事を休み宮城県医師会館へ。その後散歩がてら、近くの仙台市博物館にいけば、本日より開催の伊能忠敬展がありました。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/monthly/index.html#tokubetuten
今回の目玉、アメリカ帰りの大図204面を是非見たいと思い、中にはいると、いやー、いいですね。地質学のルートマップと同じ方式で地図が作られていたことがよくわかりました。(基本ルートはまず角度と距離だけとり、あわせて野帳に気づいたことを絵や文字に残すなど、それほど経験があるわけではないですが、そのままですね)
実際、歩いたルートが赤線で引かれているのですが、大図レベルだと、こことここが基点で、角かくした線が引かれており、本当に測量していたんだ、ということが実感できました。
あと、調査の年代や回数もあるのでしょうが、西日本は、山などの目印に対する角度を引いた補助線が、非常に密なのに対して、東北や北海道では、本当に代表的な山(宮城では蔵王、仙台駒ヶ岳(船形山か栗駒山)、南部駒ヶ岳(??)、岩手山岩木山鳥海山、月山)くらいしか利用されておらず、補助線がほとんどないのが印象的でした。(そうそう、その中で金華山*1が対象になっているのは、さすが、と思いましたが。)伊能図は明治以降に測量された地形図(迅速図)などにも大きな影響を与えたようですし、迅速図以前の基本地形図として生きていたようですが、こうしたデータの密度の違いは、何か影響を与えたのでしょうか。ちょっと興味を持ちました。

*1:牡鹿半島の沖にある島で、三陸沿岸の漁師が位置を確認するために利用される島として知られ、それが故に信仰の対象となっている。全域が黄金山神社の境内で、漁師たちは出漁すると、ここに参り、その後塩釜神社に参詣するのが習わしとなっていた。