カッパ信仰

 久しぶりにカッパネタです。
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2006/03/20060322t35006.htm
 盛岡市内でカッパをまつる祠があったが、最近廃れていた、という話は聞いていて、一度拝見したいとは思っていたのですが、なんと社地を用意して、ということになっているとは。

盛岡市市民グループが、江戸時代末期から昭和中期まで市内の北上川にまつられていたカッパ神社「盛岡かっぱ神さん」を復元する準備を進めている。市内の神社に保管されているご神体を6月にも、ゆかりの河川敷に再建するお堂に移す予定。「川を信仰の対象としてきた歴史を語り継ぎ、環境保全運動につなげたい」と話している。
(中略)
 1954年、護岸工事のため神社が近くの民家の庭に移されて以降、ご神体は行方不明になっていたが、98年に谷村さんが市内の大宮神社に保管されているのを見つけた。ご神体は子どもを抱いたような形の岩。赤い布でくるまれている。添えてある木碑には「元治元年」(1864年)とあり、「国家安全」「五穀成就」などの祈願が書かれている。
 谷村さんらは、浮島神社の石碑が残る河川敷にお堂を再建することを計画し、河川敷を管理する岩手河川国道事務所と交渉を続けてきた。このほど交渉がまとまり、3.3平方メートルの土地を借り受け、鳥居とお堂を建てることが正式に決まった。
 みちのく岩手かっぱ村は、復元した盛岡かっぱ神さんの近くで水上パレードなどを開く構想を立てる。谷村さんは「カッパは頭の皿が汚れると生きていけない。神社の復元は、川の環境保全を呼び掛けるきっかけにもなる」と市民の参加を呼び掛けている。

 う〜ん、水上パレードもみてみたいような気がしますが、なかなか本格的な様子す。岩手のカッパといえば遠野が有名ですが、こちらも負けじと頑張ってもらえれば。しかし、信仰と環境保全運動ってつながるような、取って付けたような理由ですね。
 ところで、余談になりますが、元治元年に「国家」という言葉が普通に使われていたのですね。私のつたない記憶では国家って、明治以降に国を天皇を家父長に見立てたことから生まれた言葉だと聞いていたのですが、そういうことはないのですね。ちょっと気になるな〜、今度改めて調べてみようっと。